猥褻よりも恥ずべきこと

群馬県内の50代の小学校教頭が教職員対象の会合後に風俗店に行っていた問題で教頭は18日までに退職願を提出した。県教委は受理する方針。 県教委によると、教頭は5月26日、前橋市内の会合に公務で出席。その後時間休暇を取り、伊勢崎市内の風俗店に行きサービスを受け、内偵捜査中の警察官に事情聴取を受けた。地元の教委に対し「道義的責任を感じている」と話したという。

美化するつもりもないけれど、所詮性風俗なんて言うものは人間の商行為の一部であって、一部の人にとっては生活の一部であって、ある人々には生活の糧であって、個人的に忌み嫌うならともかく、社会的なのけ者にしようとする態度には違和感がある*1。適法な範囲で、社会的なモラルに反しない限りの人間の活動に正邪の別などないだろう。
この教頭を非難する勢力にとって教育者とは聖人君子でなければならないのだろうか。自分は教育に携わる人間には聖人君子になるよりも先に普通の人間であって欲しいと思うのだがそれは間違っているのだろうか*2。というか聖人君子は風俗に行くと聖人君子を剥奪されるのだろうか。
好き嫌いは自由だがそれを理由にレッテル張りをして人を追い落とす論理は気味が悪い。
一番恥ずべきなのは社会の公器などとと威張っておきながら<わいせつ教頭>なんていう公平さの欠片もない見出しを付ける新聞社だ。そんな理屈が通るなら人間社会そのものがどうしようもなく猥褻だ。

*1:なにも社会の表舞台に立てようという主張ではない、もちろん。

*2:普通の人間は風俗店に行くと言う主張でももちろんない。